元担の誕生日を忘れられた話

9月16日私の元担当は24歳の誕生日を迎えた。

彼は、すでに芸能界を引退しているし結婚して子供だっている。

きっと彼についてブログとかいろいろ書くのは今日が最初で最後になるだろう。

でも、今書いておかないときっと私の思い出はどんどん薄れていってしまうだろうから書き残したい。

 

私の元担当は、7WESTだった竹本慎平くんです。

当時、宮崎の田舎に住んでいて中学生だった私はなぜか竹本慎平くんにドはまりし高校1年生の夏初めて松竹座で少年たちを見ることになる。

初めて入った松竹座は1階10列通路横なにもかも新鮮ですごく楽しかった。

あの頃は、まだTwitterもそんなに活用できていなくて夏の松竹座の終わりからどんどんTwitterにハマるとともにオタクとして無駄に成長を遂げていくの感じたし、きっと来年の夏も松竹に入るのろうとあの頃は思っていた。

だが、その次の夏には彼の姿は松竹座にはなかった。

最初はポスターに名前だってあったし、たぶん夏の松竹座の稽古にだって出てたんだと思う。(辞めた後、まいジャニかなんかで稽古風景映ったようなきがする)

なんでいなくなったかなんてわからなかった。

けど、冬の時点で7WESTの中でも序列が下がっているのは目に見えていたし認めざるをえなかったけど認めたくなくて毎日のように暴れた。

まだ夏には18歳だったし、大学入った年だったしきっとまだまだやれることが増えるんだろうなと思ってたし、ちょうどいなくなる少し前、当時ジャニ勉?で1回だけ流星くんと淳太くんと出してもらえてすごくすごくうれしくてこれからもたくさん出てほしいなーなんてのんきに思っていた。

結局あの頃はわざわざ宮崎から大阪に行くわけだしチケットを交換したところで担当に会えるわけでもないからそのまま友人と一緒に少年たちに入った。まあ案の条、私は蒼い季節を聞きながら号泣してなぜあの子がこのステージにいないんだろうと自問自答を繰り返していたと思う。あの頃は、もちろん団扇OKで団扇も持たず泣き崩れていたのは本当気持ち悪いなと我ながら思う。

 

重岡がすごく好きで「しげおんぶしてー」「しげーだっこしてー」とか平気で言ってたし淳太くんと焼き肉いったら何が食べたいか聞かれて「一番高いの」て答えるし最初から最後まで淳太くんにお肉焼かせて食べ続けるって話もあるけど全部かわいいで片づけていたしほんとかわいかった(語彙力)

だみ声だし頭がヘルメットだし無人島に行くならいちごの種とキンチョールを持っていくような男だけどずっとジャニーズでいてほしかったしあわよくばデビューしてほしかった。今のジャニーズWESTはすごくすごく素敵ででも、どこかで7WESTが続いていたらどんなんだったかなとふと考えることもある。

だってあの頃は7WESTでデビューできるって思いこんでいたから。バカだったなと思うけどバカになれるくらい好きだった。

あれから箱推しは絶対やめようと思った。なくなった時つらいのは自分だと

 

 

 

まあそんな私は、松村北斗くん担当になって今年の9/16は日生劇場で過ごしました。

毎年、今年もおめでとうと噛み締めていたけど今年は今日の今日まで思い出すことがなかった。やっと私は心からさよならを言えたのかなと思いました。

また私は松村北斗くんを通してSìxTONESをグループごと好きになっているけれど現在を応援できるって楽しいなって思います。

 

いなくなったときのブログの最後にいつかみかけたら笑っていてくれていたら満足ですと書きました。今もその思いは変わりません。

お子さんと、奥さんとそして自身を大切にしてくれていますように。

さようなら。

そして、たくさんの幸せをありがとう。